200「日本兵サカイ・タイゾーの真実」

9.9.thu./2010

★推薦作

ランチとバー併設し始めてから(墨丸カレーはまだ進化と退化中)、録画した映画みる時間もなく・・・というより、もう眠くての土曜日、「明日は日曜やし、ランチ休もか?」とふと思いつき、なら極限まで録画分見てしまおう、いや見なければならぬと決めた(HDD録画の余裕なくなって)。

この数ヶ月、営業終了後何十本もみた作品で「これは消去せず残そう」と思ったのは、07年作の香港・中国映画「ウォーロード 男たちの誓い」ぐらい、ですか。
ジェット・リー、アンディ・ラウ、金城武というアジアのトップスター競演の、19世紀の太平天国の乱の実話をもとにしたという「男の友情と裏切り」のドラマです。名作「男たちの挽歌」から始まる香港映画のこのテーマ、東映任侠映画の秀作みているよう。

あとは、連続猟奇殺人の実話をもとにした韓国映画「チェイサー」。これはゾクゾクする怖さで、この二本はオススメ。
他にも「おお!」と感嘆するラストどんでん返しのドラマもあるにはあったんですが、翌日にはその横文字題名思い出せずで・・・。

★これぞ、傑作

で、今回「これは残すべき!」と感じ入った作品が、「日本兵サカイ・タイゾーの真実 写真の裏に残した言葉」というドキュメンタリー。

冒頭、色あせたモノクロ写真が映し出される。
そこには日本人の若き男性と妻と思われる女性、そして少女が写っており、写真裏にはその男性が記したという横文字の言葉が。
それは64年前、硫黄島の戦場で日本兵が米兵に託したものであるとの解説が流れる。

場面変わっての08年12月、米兵の遺児が写真を持ち主に返そうと家族と姪だった当時4歳の少女を探し当て返還するシーン。
喜ぶ写真の男性の長女、長男、姪らの顔がクローズアップ。
この時点、この番組、家族探しの内容かと・・・。

玉砕の島、硫黄島。
1945年2月19日から3月26日にかけての激戦で日本兵20129人、米兵6821人が戦死。戦傷日本兵捕虜1023人。
捕虜となった日本兵サカイを当初尋問した米兵とフランス語を話せたサカイは親交を深め、米兵に「いずれ没収されるであろうからこの大事な写真を預かってほしい」と頼んだのがその写真。
が、この1枚の写真から意外な事実が明らかに!

番組編成当時、硫黄島からの生還者で存命しているのは10〜20名。
当初番組ではその生存者でサカイを知る人物を探す。
が、彼を知る人物は皆無。かつ、硫黄島従軍兵士の名簿にもなぜかサカイ名はない。
取材陣はようやく米国の国立公文書館で、日本兵捕虜の尋問資料に彼のファイルを探し当てる。

ファイルには、第109師団司令部通信隊伍長サカイ・タイゾー28歳と記されていた。
そして、5日間で島を攻略できると考えた米軍に対し、18キロにも及ぶ地下塹壕で36日間も戦い抜き、米軍を最も苦しめた男と称された指揮官栗林中将の指揮を暗号化し送信していた、すべての暗号・伝令内容を熟知する通信担当者だったことが判明。

3月16日。
栗林中将は大本営に対し、決別電報を打電。
有名な「国の為、重きをつとめ果たし得て、矢弾尽き果て散るぞ悲しき」を。

その3日後、サカイは栗林中将のもとを離れての夜間、仲間を見捨て米軍に投降したというのだ。
そして冒頭のフランス語を話せる米兵に写真を託したわけで、その後のサカイは能弁で(と尋問調書に)、日本軍の動向すべてを知る立場から、硫黄島での組織、軍備、作戦、戦闘状況、暗号解読方法(暗号機器の図解解説ふくめ)、栗林中将の潜む司令部壕の位置、さらには来るべき沖縄戦の内容まで告白したということが明らかになっていく。

決別電報の1週間後、栗林中将は400名の将兵と共に総力戦を行い、3月26日、硫黄島での日本軍の組織的戦闘終結。
が、その後3ヶ月間「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓のもと日本軍残存将兵は抵抗し続け玉砕・・・。

サカイは45年12月、復員。
6人の子供をもうけ、東京人形町で喫茶店を営み、戦地での投降を口にせぬまま87年他界。享年68歳。

画家を志し、フランスに渡るため30年代後半に千代田区のアテネ・フランセでフランス語を学んだという父の思い出を笑顔で語っていた遺族たちに、この事実が告げられる。
押し黙ってしまう遺族。無言の彼らを撮り続けるカメラ。
硫黄島生還者にも告げられる。
その一人は「国を裏切った。軍人精神に大きく逸脱。失礼千万。日本人として理解できない・・・」
一人は、無言で涙を流し続ける(その涙の意味は番組では解説されない)。

この番組は一人の兵士を糾弾する目的で作られたのではなく、写真の人々を探し始めて思わぬ事実が判明したというもの。で、その流れを時系列に描いているのだが、そうはいっても気に掛かる描写がある。以下・・・

機密性の高い、戦略的に重要な人物を収容するという米国の秘密捕虜尋問所「フォートハント」で、サカイと同室となった海軍大佐の戦後の手記「生ける屍の記」にサカイとの交流の箇所がある。番組で紹介された一節が「二人きりになって昼食を共にし、散歩を共にする。愉快である」

その直後のナレーションが「戦地では『靖国で会おう』を合言葉に一人、また一人と兵士達が散っていきました。サカイ氏は何を思いここで(フォートハントで)時を過ごしたのでしょうか」
番組編成者の心情が表されているようで・・・サカイ氏の家族の悲痛な顔がふと浮かんでしまった。

最後に、写真裏にフランス語で記された文言が紹介。
それはボードレーヌの詩「悪の華」の一節だと思われる、とナレーション。
いわく「おお、わが苦悩よ」

解説者は続ける。
それは戦友を、祖国を裏切って生きてゆくことへの苦悩を表現したものなのか。また、偽名を通すことで自らの苦悩を覆い隠そうとしたのかもしれないと・・・。
そして、「尋問資料の本籍をたどるとサカイという人物は全くの別人でした。本名、坂本泰三さん。ひっそりと戦後を生きました・・・」

なぜ米軍にここまで協力したのか?
尋問調書にはこうある。
「勝てない戦争の更なる惨害から、間違って教え込まれた日本の一般国民を救いたい。この戦争を一日でもはやく終らせるため、米軍に投降するという道を選びました」
ナレーション「そのとき、すでに新たな苦しみが自らに忍び寄ってくるのを覚悟していたのでしょうか」

コメンティターのピーター・バラカンは「欧米人として投降は合理的考え方、当たり前の行動とも思える。が、捕虜は敵に協力まではしない。彼はスパイ罪に相当するのではないか」
また一人のコメンティターも「日本を救いたいという使命感とともに、生きたいというエゴイズム、そしての後ろめたさを感じて偽名を通したのではないか」などと総じて手厳しいコメント(日本人は捕虜となったことを恥じてほとんどの人が偽名を使ったと聞いたことがあるが)。

このドキュメンタリーは、平成21年日本民間放送連盟賞(テレビ報道番組)最優秀、「地方の時代」映像祭2009グランプリの静岡放送局作品。
幸せそうな晩年のサカイ氏の横顔の写真をバックに番組は終わる・・・。

総じて、大佐の手記の紹介を「愉快である」で終わらせ、「新たな苦しみが自らに忍び寄ってくるのを・・・」と解説しつつ、戦後の写真の数々でサカイ氏の屈託のない笑顔が映し出されると、番組の随所でいわれる「罪悪感を感じていたであろう」をはたしてサカイ氏は感じていたのだろうか?と思わせるテレビ表現のコワサをも感じさせられた番組だったが、衝撃的な作品に違いはない。

この作品を見て思い出したのが、87年に発表された原一男監督のドキュメンタリー映画「ゆきゆきて、神軍」だ。
終戦直後のニューギニアで部隊長が部下を処刑した事件の真相究明のため、一兵士だった奥崎謙三が事件にかかわった元兵士、元上官宅を戦後次々と訪れる。
時には怒鳴り、暴力をふるい、ついには飢餓による人肉を食すための処刑だったという驚愕の事実を暴露するという(加害者たちの自宅、素顔そのまま映し出しながらの)ショッキングな内容で、当時あらゆる賞を総なめにした。
ツタヤでレンタルされてるのを以前みかけました。必見です。

「日本兵サカイ・タイゾーの真実」完

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