212「悲惨な修理行」

1.23.sun。/2011

★高峰秀子さん

昨年末、女優の高峰秀子さんが亡くなった。
その日の12月28日は私の誕生日。かつ当店18周年の日。
「奇遇〜」なぁんて、おこがましくていえやしませんけど・・・。

思い起こせば、あまたの映画スターのなかで初めてファンになった女優が高峰さんではなかったか。
かつ、海外ふくめての昨今の俳優陣に昔日の「銀幕のスター」の名にふさわしい方がいないと常日頃断じてしまうのは、高峰さんのような方に感じられたある種「気品」が若手俳優の彼らに見受けられないせいかもしれぬ。
また、思春期から今日までの我輩、女性は少々目の離れた方が好きなタイプ※となってしまったのは、幼少の頃にみた銀幕での高峰さんの存在が刷り込まれたのでは?と、今になって思い至って・・・。

※え〜、最近の方では、南果歩さん、仲間由起江さん、NHKアナウンサーで「きょうの料理」の司会者でもある山本美希さんです、このタイプは。映画「SPLICE」の新生命体は目が離れすぎてましたが・・・。これが男性の場合には間が抜けてみえるからやっぱり刷り込みでしょうか?

刷り込まれた時期としては小学校1〜2年生頃にみた「喜びも悲しみも幾年月」か「無法松の一生」(当時は校舎壁面に白布吊り下げての校庭での夜間映画会なんてのがあり、この作品はそれでみた)ではなかったか。
高峰さんを意識し始めたのは、小学4年生頃に見た出演作「人間の条件」(日本映画の最高傑作だと我輩は思っている。あ!この6部作一挙上映大会しましょか?)、それと「名もなく貧しく美しく」ではないかと。

後年、1954年制作の「二十四の瞳」をみ、彼女の唯一の難点が「美声」ではなかったことを知ってしまい、そういう意味でも(失礼)聾唖者の夫婦愛を描いた「名もなく」は我輩が最も好きな作品。
映画評論家の品田雄吉氏によると、彼女が一番光り輝いた作品は50年の「浮雲」とか。仏領インドシナで出会った男女が、煩悶しながら敗戦後の日本でさまよう姿を描いているというこの作品、成瀬巳喜男監督の最高傑作とも。残念ながら未見。

彼女の追悼文を何紙かの新聞で目にしたけれど、印象に残ったのが3日付けの産経抄。
4歳で実母を亡くした高峰さんを引き取った養母が困った方で、子役でデビューした高峰さんは小学校にも満足に通えず、心配した担任の先生が持たせてくれた絵本で字を覚え、いつしか読書が何よりの楽しみになったとか。しかし、ひらがなしか読めなかった養母は高峰さんが活字を読み勉強することを嫌い「勉強なんかしなくったって、金さえあれば何でもできる」とばかりに、出演料はすべて自分や親族の懐に。
数々の名作に恵まれ幾多の映画賞を獲得しても、高峰さんは「女優はイヤだ」と言い続け、それでも養母や親族を養うために懸命に働いたとか。
その高峰さんが、夫の松山善三監督と共に読書三昧の生活を楽しめるようになったのが、55歳で女優業を引退してから・・・という記事。

芸人のケーシー高峰は少年時代に高峰さんにあこがれて後年その名を付けたとか、助監督時代の黒澤明と恋に落ちていたとか、今回初めて知った。

彼女出演作のDVD、宝くじ当たれば全部買いたい。
彼女の著書で日本エッセイスト・クラブ賞の「わたしの渡世日記」は古本屋で探している。ゴーストライターが付いているという噂があったほどの名文家でもあったとか。合掌。

★ピンクの・・・

今夜の「我輩はバカである!」その1.
先日、深夜3時からお客さん宅での鍋パーティーに参加(今年は鍋パーティが多い!)。
そしてまた、泥酔。
夕方、銭湯に行く。
ゆったり湯船につかり、さて体を洗おうと洗面台に。
まず頭から洗うのが常。
で、シャワー全開でまずお湯で洗髪。
次にシャンプー。
充分あわ立てて、さぁ洗い流そうと下むいて、ドキッ!
あわてて両足指先折り曲げ、誰にも見られんよう足元の排水溝に突っ込んだ。
足の爪がぜ〜んぶピンク色やった!

・・・鍋パーティ主催のCちゃんが、酔って意識朦朧の我輩の靴下脱がし、マニキュアで爪を塗り潰してたんだった・・・。
ヒゲはやしたオカマっておるんやろか?
近所の人たちに見られてしもたんやろか?

翌々日、また銭湯に。
靴下脱いで思い出した。
まだマニキュア、落としてなかった・・・。
これ、どないして落とすんや?

★修理行

その2.
膨大なメニュー資料を保存しているシャープ書院のワープロWS3000(95年製)のプリンターが壊れてしまった。

ネットで調べてのワープロ修理専門店に問い合わせると、希少商品ゆえ修理費用7〜8万円。オーバーホールだと12万!アホか。
で、修理あきらめパソコンのワード学習し始め・・・文字はもちろん打てれども、罫線などの引き方がわからん。印刷方法も全然わからん。ましてやプリンターがない。
こりゃマスターすんのいつになるかわからんぞ!とイライラしつつ再度格安修理店ネット検索。すると、本家本元シャープがいまだ修理を受付け中!
製造後10年で修理不可と思い込んでいたわけで、電話してみるとまだ部品あり。

で、修理行。
行き先は平野区加美南3丁目の修理受付センター。
店から車で20分程度の場所か。
ネットで調べた地図思い出しつつ午後3時ごろ出発。
25号線右折だったけれど、間違って手前を右折。
・・・それから地獄が始まった。

どこをどう走っているのか、わからんように・・・。
積んであった薄っぺらな関西観光案内地図を開く。
・・・観光なんかせぇへんのになんでこんなん買ってしもたんや?(一応地図で、安かったから!)。
京都、奈良、和歌山などの市街図は掲載されてんのに、大阪市内だけがなぜか、ない!(観光地、あるやん?)。

コーナン駐車場に乗り入れて携帯電話のナビで、チェック。
・・・現在位置分かれども、拡大表示の仕方もわからず役立たず・・・不明のまま再出発。
ローソン見つけ、道路地図立ち読みしようとすれど、駐車場満杯。
でも、こんな狭い街、走ってれば出くわすだろうと走りつづけれども、所在地の加美という地名にも出くわさず・・・。

交番発見!
無人。
でも地図が壁にかかっていた。
あ〜、助かった!と地図チェックし始めたそのとき、交番の入り口が開く。
お巡りさんかと振り返ると、入ってきたのはマスクしてるのに酒の匂いぷんぷんの年寄り男。
「誰もおらんのかい!」
「いませんよ」
「ここに電話あるやんけ、電話せぇや!」
「地図調べてるだけですからいいんです」
「電話したらええねん、電話せぇや」と酒臭い息吐きかけながら意味不明なことしゃべりかけてき、地図調べるどころかついには殺意さえ抱き始めてきて(キレるってコトわかったわ)、交番で殺人なんてシャレにもならんわとたまらずその交番、出てしまう。

「え〜、たしか交番がここやから、加美は進行方向?」と、チラッとしかみれなかった地図必死に思い出しつつ、車の横をヨタヨタと通り過ぎるマスク爺さん横目に走り始め(爺さん、なにしに交番来てん?)・・・・行き着いた先は八尾市やった。
Uターン。

受付は5時半まで。
時計見るとすでに5時すぎ!
20分でたどり着けるはずが2時間もさまよっていた・・・。
あかん、もう明日にしょうか、と思い始めたそのとき、平野警察署発見。
駐車場満杯。
もうそんなんどうでもええわと堂々と路駐して、たまたま駐車場にいた男性に道をたずねる。
相手はもう誰でもよかった。
留置場からでてきたばかりのヤクザでもよかった。

でも親切に教えていただき、またUターン。
到着、受付時間終了間際。後日見積もりあり。
一日なにも食べてなかったんで「ザ・めしや」に入ったけれど、疲れすぎてて食べる気力も失せていた・・・。

※シャープに固定電話で電話すると、呼び出し音のあと、ウンともスンともいわず(そういえば最近、電話掛かってきても無言のときがあった)で、今回は携帯で連絡したわけだけど、ネットもつながりにくく(で、シャープの修理会社の地図、再確認もできなかったわけで)、NTTに連絡すると電話線の接触不良・・・。この修理に二日もかかってしまった。
はい、何もかもが壊れていく(死んでいく)日々でした・・・。

おまけの話。
ワープロ修理専門店調べる数日前、ふと思い出したのが310号線沿いにあった「古い電気器具修理します」の看板。
たしか中百舌鳥から北野田にかけての道沿いにその店あったはずと、車ででかけた。それがみつからない。この日はとうとう河内長野まで行ってUターン。帰りの国道は、日曜日の観光地からの帰り車の列で大停滞・・・。

「二度あることは三度ある」というから、それゆえの一抹のいまの不安は、「あの迷いに迷ったシャープ修理センターにはたして次回行き着けるだろうか・・・?」
はい、つぶれたワープロに振り回された日々でした・・・。

「悲惨な修理行」完

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