354「歩いて、歩いて」(見たもの篇)

3.13.mon./2017

★見たもの・・・

山の麓まで降りると、国道ふくめ二本の自動車道に跨った長大な歩道橋がある。
以前記した絶滅寸前のタバコ自動販売機同様、歩道橋も我が青春時代に生まれ、いままたこれも消滅しつつある産物だ。ゆえにこの橋もサビて汚れ、雑草がはびこっている。それだけ日頃利用されていないのだろう。夜間など女性には危険路かもしれぬ、安全モットーのはずの歩道橋が。

歩道橋下りた国道では以前、身なりは普通だが異常に痩せた、いままで出会ったこともないほど痩せこけた若い女性が歩いているのを車から見かけたことがある。拒食症だろうか。貴志祐介「リカ」、スティーブン・キング「痩せゆく男」の主人公たちを連想してしまった(スミマセン!)。昼間ならまだしも、この歩道橋で夜間に彼女に出会ったなら女性ならずとも・・・(スミマセン!)

国道沿いに不思議な住宅がある。
三階建てだが、玄関が二階にある。
どう見ても和風の引き戸付き幅一間余りの立派な玄関だ。
でも道路から玄関までの階段がない?
道路拡張でもあって削られてしまったのだろうか、階段が。まさかなぁ・・・。いや、あり得るか?

玄関前広めの場所に植木でも目隠しに置けば良いのにとおせっかいにも思ってしまう。これでは酔っ払った訪問客など中から誤って戸を開けて道路に転落しないものかしらん、特に我輩みたいなおっちょこちょいは。
今回は国道の反対側から見てしまったので、次回は家側を歩いて道路下の半分隠れて見えぬ一階にあるはずの玄関を確かめてみよう。ヒマなヤツやなぁ!と思うでしょ?ヒマなんです。

★「グスク」という人

サラリーマン時代は東京、堺に住み、この地をながらく離れていた間に駅前再開発で周辺も変貌してしまっていた。
かつては国道から駅に通ずる小道に一軒だけ小さな居酒屋があった。
我輩がサラリーマンだった二十代の頃だが、仕事帰りに時々その店に立ち寄っていた。

そこで中年の、例えば中城ならナカグスク、金城ならカナグスクと呼ぶように、「グスク」とつく名字の年上男性と親しくなったことがある。呼び名からして沖縄の人であった。
彼は駅近くの建築会社の作業員だった。
ある日彼の部屋で酒を呑んでいてモノクロの写真を見せてもらったことがある。
写真館で撮ったというそれには黒のスーツで身を固めた二人の男が写っていた。
その一人が「グスクさん」。沖縄ヤクザだった頃の写真だという。知り合った当時はとても元ヤクザには見えず、いうならば人の良いウミンチューという感じだったが・・・。

人の良さそうな元ヤクザ屋さん、そして沖縄といえば、ずんぐりむっくりの小柄な中年男性「ニチョケンさん」がいた。墨丸時代のことだ。薬物中毒の治療で入退院繰り返し、酒を禁止されているとかでコーヒーをよく飲みに来ていた。
聞くところによると昔、組から1千万持たされ組員何人かと沖縄米軍基地に銃器仕入れと射撃練習のため派遣されたことがあるという。で、彼が特に優秀だったため大阪に戻ってからは拳銃2丁を常に持たされて組長のボディガードを。で、当時ついたあだ名が「ニチョケン」

「ホンマかいなニチョケンさん、ほな入れ墨なんかもしてはるん?」と聞くと背中の入れ墨見せてくれ、それを我輩ガラケーで撮らせてもらった。
以後、お客さんに「マスターって昔はどんな仕事してたん?」と聞かれると「昔はカミソリのマサって呼ばれててなぁ・・・」と、「自分のや」とガラケーのそれを見せていた。「またホラ吹いてる!」と、誰も信じてくれなかったけど・・・アホやん?
ちょっと困ったのはニチョケンさん、あちこちで「ワシは墨丸のマスターのボディガードや」と言いふらしていたこと・・・ああ、話が長くなるのでニチョケン話はまた今度。

で、その居酒屋も建築会社もいまやどの辺りにあったのかも、「グスクさん」がなぜ大阪に流れ来たのかも、その顔さえももう思い出せないほど昔の話になってしまった・・・。

「歩いて、歩いて」(最終回 到達篇)につづく

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